京急 昔の踏切跡で遺構探し(上大岡~杉田)

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 これ全部探すのって京急線全区間踏破とほぼ同義では……?

上大岡~屛風浦

 この区間は1997年に高架化され上大岡第一・第二踏切(図中①②)が除却されていますが、空中写真や古地図によると他に4ヶ所踏切があったようです。しかし上大岡~屛風浦トンネル間の沿線は戦後宅地造成が大規模に行われたこともあり、当時の面影はGoogle Earth上でも殆ど分からなくなっていました。

上大岡第1・第2踏切立体交差工事–工事桁移動による線路切替

 しかしPCの画面だけ見て満足するのもな~痕跡が「無い」ということを確かめに行かなくては。

上大岡①

除却年月:1997/06/22

 比較的最近まで残っていた踏切ですが1948年の写真にしてみました。分譲地になる前の駅周辺は針葉樹林と田んぼだらけです。

 山側から跡地を写しています。この交差点、線路沿いに進みたい直進車が踏切を渡る右左折車に阻まれて進みにくそうですが当時どうだったんでしょうかね。痕跡はないです。

上大岡②

除却年月:1997/06/22

南側から。橋桁の右に開いている空間は高架工事時の仮線跡です。

 アスファルトに注目すると線路と同じ方向にヒビが入っていますね。地上時代の路盤の違いでしょうか?もし表層だけ剥がすことが出来たら何か違いが分かるかも。

上大岡③

除却年月:1956/03/10~1963/06/26

 架線柱との区別が難しいですが宅地開発が進む前まであったようです。この辺は盛土の上を線路が通っていました。

 山側から。高架区間の境目で跡形も無くなっています。

 海側からはこんなもんです。線路右の開けた用地が当時の仮線の名残で、今は工事車両か何かの出入口になっています。

上大岡④

 除却年月:1949/02/28~1956/03/10

 架線柱と見分けが付きにくいですが横浜市三千分一地形図には踏切と交差する道が載っています。

 ちょっと地形が変わり過ぎなので、踏切があった当時の道を線で引いてみました。ここは現在線路を見下ろす形になっていますが、京急のすまいづくりの歴史の古写真によると昔は線路脇とほぼ同じ高さだったようです。

で、痕跡は?ないです。

上大岡⑤

除却年月:1968/06/06~1977/12/22

 屛風浦トンネルを抜けてすぐ。ここは痕跡が見付かりました。

海側から

 マンションを左手に進んでいくと行き止まりです。しかし……

 柵の先に道が続いているのが見えますか?この先は線路です。つまりここから踏切に通じていたという事。逆側からも攻めてみましょう。

山側から

 どんどん道が狭くなっていきます。

 行き止まりです。でもなんか続いてるっぽいですよね。

 これ実は右に曲がるのが正解で、柵越しに線路の方を見ると京急沿線でよくある石製の柵がありました。コンクリの地面のような物も見えます。柵と草が無ければ線路の前まで進みたかった。

上大岡⑥

除却年月:1949/02/28~1956/04/13

 影が見えるので跨線橋に見えなくもない。これ踏切じゃないかもな……まあいいや

 同じ場所に行くと保線用の出入口でした。まあこの辺も汐見台団地が出来て地形がだいぶ変わっていますからねぇ。

道中のおまけ↓破損したセクション解除標識

屛風浦~杉田

 空中写真を見ていて気付いたのですが昔の屛風浦駅は島式ホームでした。しかしネット上でも手元の資料にも情報が見付からず。

屛風浦①

 除却年月:1949/02/28~1956/03/10

 どう見ても島式ですよね。構内踏切もあります。

 まあ今は相対式ですから跡形が無いのも当然で……

★番外編★島式ホームの遺構探し

 少し脱線しますが探してみましょう~まずは線路をなぞります。

 上り線が若干外側に膨らんでおり、ホームも「逆D」型に見えますね。ということは盛土も同じ形に膨らんでいるはず。

 そして実際に上り線の浦賀方を見ると、やはり盛土が余分に膨らんでいてビンゴ。上りホームの下はかつて線路だったという証拠になります。ウーン素晴らしい。

 一方下り線側の盛土はすぐ傾斜になっています。

 もし今も島式ホームのままだったら110キロで通過することは不可能だったでしょうな。

屛風浦②(屛風浦第一踏切)

 除却年月:

 実はこれ2代目で、元々は若干浦賀方にありました。

屛風浦③(旧屛風浦第一踏切?)

除却年月:1956/04/13~1961/03/24

 黄丸が旧踏切です。この辺は山側の宅地造成に伴い、黄色点線に沿って道路が新しく引かれたことで海側にある国道16号とのアクセスが良くなりました。その際に踏切が新道に移設されているように見えます。

 1963年は丁度移設されて間もない頃ですかね。旧踏切の跡がうっすら線路上に残っています。

 山側から見た旧踏切の場所です。一見ただの交差点ですが不自然に線路側が膨らんでいますねえ。

 反対側に来ました。ここがかつて田園地帯だった向こう側に通じる旧道だったとは。

屛風浦④

除却年月:1947/02/20~1949/02/28

 これは勝手踏切に見えます(ちゃんとした踏切は踏切道がはっきり写ってるのが多いので)。

 海側から眺めるとこんな感じです。多分昔は線路の向こう側がコンクリではなくただの土の斜面で、渡った後に登れたのだと思われます。

屛風浦⑤

除却年月:1963/06/26~1968/06/06

 願行寺の北にありました。

 海側から路地に入ってみました。もしこれがただの行き止まりなら、土が線路に向かって盛られているのは不自然です。これは怪しい。こんなところに入り込んでる私も怪しい。

 奥に進んでも特に何もなし。井土ヶ谷の辺りには「サクを乗り越えるな ごみを捨てるな 京浜急行」の看板が多くありましたがこの辺には無いみたいですね。とにかくここを通って線路を渡れたことに間違いなさそうです。

屛風浦⑥

除却年月:1967/5

 ここは歩道橋に置き換わった踏切です。

 足下に謎の遺構がありました。

 ただのコンクリブロックですが線路内と道路を跨いで設置されており、白線も引かれています。

 横浜市の境界石の位置からしてこのブロックは京急が設置したものである可能性大。踏切の遺構を見付けました。ここが「屛風浦第二踏切」だったのでしょうかね。

 この踏切と同じ位置に跨線橋が1967/5に設置されました。名称は「屛風ヶ浦第2跨線人道橋」。第1は付近に見当たらず深まる謎。

 反対側(山側)に特に遺構は無かったのですが民家の塀に「KHK」と刻まれた境界石が埋まっているのを発見。自分が立っている道路は京急の物だった?????

 以上、上大岡から杉田まで。中々面白い区間でした。屛風浦駅島式ホーム時代の遺構は中々興味深かったですね。

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